「鈴木修語録」を展示いたしました

「鈴木修語録」を展示いたしました

 この度、スズキ歴史館2階西側(通称:遠州コーナー)の壁面に「鈴木修語録」を展示いたしました。この語録は、今年4月、東京と浜松で行われた「お別れの会」の会場において展示し、多くの方々が足を止めて、懐かしそうにご覧いただいておりました。

では、この語録の中から、いくつかをご紹介しましょう。

どこの国でもいいから一番になりたい(1978年 社長就任時)

 1975年の排ガス規制対応の失敗で、経営の危機を迎えた。多くの方々のご支援で、なんとかこれを切り抜けることはできたが、湖西工場の生産は月1500台のペースまで落ち込み、従業員は意気消沈。なんとか士気を上げたい。日本でダメなら外国で、どんな小さな国でもよいからと熟慮したところ、答えは簡単。クルマを生産していない国に行けば、100台でも1位になれると考えた。『スズキでも1番がとれる国があるんだ』というのを見せたかった。

ハート・ツー・ハート(1983年 インドプロジェクト等に触れて)

 人間はみな同じ。外国人の大経営者でも、中小企業の社長でも、普通のサラリーマンでも、基本は一緒。いい面をみんな持っている。だから私はその人の地位や国籍によって接する相手を差別しない。世界中どこでも心で通じることはできるんだ。

会社存亡の危機も、商品の寿命も、25年周期でやってくる(1995年 インタビュー)

 これまでスズキの経営を舵取りしてきてわかったことは、会社存亡の危機も、会社を支える飯の種である商品の寿命も25年周期で訪れることだ。<織機から国内二輪、そして二輪輸出・現地生産へ><軽四輪から小型四輪、そして四輪輸出・現地生産へ>といった変遷をたどった。会社も1950年には労働争議、75年には排ガス規制対応失敗といった深刻な危機に見舞われてきた。大切なことは、過去の危機の経験、商品の変遷の経験をいかに次代へと伝えていくかだ。

節の少ない竹は折れる(2007年1月 副代理店大会)

 杉の木は折れやすく、節のある竹は折れにくい。しかし急激に伸びる竹は折れやすい。要するに、急激に伸びる時、業績の良い時に経営危機をはらんでいる。

スズキ100年の成績は、試合に例えるならば「100戦51勝49敗」だった(2020年1月 日経ビジネス1月13日号「編集長インタビュー」)

 負け戦となり、一旦は引き下がっても、何とか勝つ方法を探して、勝ち戦にしてきた、という意味です。運とツキを呼び込むために挑戦が大切です。一歩前でも半歩前でもいいから、前に出る努力をしなければツキが向いてくれません。待つ経営はだめ。攻める経営をやらなければならないのです。

まだまだ、含蓄のある言葉がたくさんあります。それぞれの言葉の解説は、語録パネルそばのQRコードまたはスズキのホームページからご確認いただけます。

▶鈴木修が残した言葉:https://www.suzuki.co.jp/osamugoroku/

あなたのお気に入りの一言を探しに、ぜひスズキ歴史館にお越しください。ご来館お待ちしております。

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